MENU

Pick Up Program / ピックアッププログラム

番組一覧はこちら
Logo

ブログ

琉球ガラス史研究家・河西大地さん

毎週火曜日にお届けしています"Finer"

 

志を持って頑張っている方、

誰かにfine!を届けようと活動している方、

いわゆる「ファイナー」をご紹介しています。

 

今回のFinerは、琉球ガラス史研究家・河西 大地(かさい だいち)さんです。

 

 

※「琉球ガラス村」に出来たギャラリーブースの歴史コーナーにて

 

 

松田礼那)河西さんは「琉球ガラス史研究家」でいらっしゃるんですね!?

 

河西さん)そうなんです!私は、琉球ガラス村で働いていた事があるのですが、お客様から「琉球ガラスって何?」と聞かれることがありました。

その時、困ったことに答える事が出来なかったんです。

そのうち「『古い物にはこういうものがありました。』とお話しできればいいのでは!?」と思い至って、琉球ガラスのコレクションを始めました。

ただ初めは20個・30個のつもりが、いつの間にか100個になりクローゼットに隠しきれなくなり・・今は気づけば2500個ほどの琉球ガラスがあります。

 

 

 

 

松田)そんなにですか!?

では、それほど集められた今なら「琉球ガラスって何?」という質問には・・

 

河西さん)やはり、答えられないですね!(笑)

琉球ガラスを集めれば集めるほど、歴史を知れば知るほど「琉球ガラス」を言葉で定義することの難しさを感じ始めました。

 

松田)例えば「琉球ガラス=沖縄で作られたもの」とは言えないんですか?

 

河西さん)言えないんです・・。琉球ガラス職人がベトナムで現地指導して、ベトナムの工場で作られている琉球ガラスもありますから・・。

 

 

 

 

松田)なるほど!良く沖縄で好まれるデザインとして「泡ガラス」が挙げられると思うんですが、「泡ガラス=琉球ガラス」とも言えないんですか?

 

河西さん)言えないんです・・。泡が入れられるようになったのは、1980年代後半や1990年代に入ってから。それまでは「泡を極力入れないようにする」のが職人の腕の見せ所でした。

 

松田)昔は泡は避けられていたんですね!?

 

河西さん)はい。炭素やホコリなど不純物が入っていると泡が出来てしまうのですが、昔の廃瓶で作られていた頃の琉球ガラスは、この不純物が多く含まれているため、泡ができやすく、職人さんたちは極力泡を作らないよう工夫していました。

 

一方、半数以上が「原料ガラス」から作られるようになった今は、「原料ガラス=不純物がほとんど入っていない」ので、普通に作っていれば泡はほぼ出来なくなりました。

ただ、沖縄の海をイメージさせるような泡が特に観光客に好まれるデザインのため、今はカレー粉などの有機物を意識的にいれて、泡を作り出していることが多いんです。

 

松田)カレー粉で意識的に作られた泡もあるんですか!?面白いですね!

 

河西さん)はい。今、泡ガラスは、好まれるデザインとして定着していますからね!

 

 

 

 

松田)琉球ガラスの定義のお話に戻りますが、「琉球ガラス=かつては廃瓶から作られていたもの」とは言えないんですか!?

 

河西さん)はい。琉球ガラスの「発祥・起源」も2つの考え方があります。

 

1つは「起源は明治時代」という考え方です。

琉球ガラスの技術的な起源は1909年・明治42年に、鹿児島の商人が、本土の職人を連れてきて、奥武山に工場を作ったのが最初・・と言われています。

当時は「ランプのホヤ」とか「ガラスの浮き球(びん玉)」など、生活用品・工業用品を作っていました。

 

 

 

 

 

もう1つは「戦後」という考え方です。
1949年・アメリカの統治時代に、那覇市の与儀に、現在の奥原硝子製造所になるガラス工場ができて、そこから沖縄でのガラス製品づくりが再開されました。
この工場で働いていたガラス職人が1950年代後半以降に独立して工場が増えていくんです。そのひとつが牧港ガラス工場です。
今の牧港交差点の真ん中にも実はガラス工場があったんですよ!?
牧港ガラス工場を訪れたアメリカ人からの要望で、水差し・デカンタ・ワイングラスなどアメリカのものを、カラフルな廃瓶を使って作り始めました。

 

 

松田)先ほど「戦前の琉球ガラスは、本土と同じデザインで、工業用品・生活用品として作られていた」というお話がありましたが、カラフルな琉球ガラスが作られ始めたのは、戦後になってからだったんですか!?

 

河西さん)そうですね!アメリカの廃瓶が利用され始めてから、カラフルになりました。

 

 

 

 

例えば、写真真ん中の「緑のワイングラス」は「セブンアップの廃瓶」を利用して作られたもの。

写真奥の「茶色い水差し」は「ビールの廃瓶」を利用したもの。

写真左の「透明の浮き球」は「コカ・コーラの廃瓶」を利用したものです。

 

 

 

 

そしてワイングラスの底にはシールがついていて・・

「牧港硝子工芸謹製」と書かれていますよね!?

先ほどお伝えした国道58号の牧港交差点にあった工場で作られたものです!

 

 

 

 

松田)すごい!沖縄の歴史を感じますね!

 

河西さん)はい!まさにそれがガラス製品の最大の特徴だと思います。

 

ガラス工場というのは常に窯をたいていないといけないので、常にその時代のお客様に必要とされるもの、ニーズに応えたものを作り続けなければなりません。

だからこそ、ガラス製品は時代を反映したものになるんです。

 

これまで琉球ガラスは

明治:本土と同じデザインの工業用品・生活用品

戦後:アメリカ人に求められるデザイン

本土復帰後:日本人・観光客に求められるデザイン

というように変化してきました。

 

そしてここ25年ほどの間に、沖縄県民にもレストラン・居酒屋などで琉球ガラスが使われるようになり「琉球ガラス=県民にも愛されるスタイリッシュな生活用品」という形になりつつある気がします。

 

 

 

 

これほど時代とともにデザイン・スタイルが変わるので、「琉球ガラスとは?」と聞かれても正直、言葉で説明するのは難しいです。

 

しかし、時代とともにデザイン・スタイルは変わっても、そこには必ずその時代を生きた職人さんのこだわりが詰まっています。

 

また決して「西洋品のコピー」などではなく「沖縄らしさ」が詰まっているとも感じています。

 

それを言葉にするのは難しいのですが「見て、感じて頂きたい!」と思い、昨年「琉球ガラス年代物コレクション~沖縄ガラス工芸図鑑~」という本を出しました。これまで琉球ガラスを専門に扱った本はなく、唯一無二の琉球ガラスの解説本になっていると思います。

 

ここに載っている昔の琉球ガラス(1940年代~80年代中頃)の8割ほどは、今はもう作られていません。

県内で古い琉球ガラスを見られる博物館・美術館も、ほとんどありません。

 

今残す努力をしなければ、ガラスと言う壊れやすいものだからこそ、数年後にはもっと「琉球ガラスとは何なのか?」という答えにたどり着く事も出来なくなっていると思います。

 

どうかこの本の琉球ガラスを通して沖縄の歴史に触れてみて下さい。

そして「琉球ガラスとは何なのか?」を肌で感じて頂けたらと思います。

 

 

 

本はオールカラーで¥3,777 全320ページ

 

本に関するお問い合わせは、070-5411-6726までどうぞ♪

 

河西さんのサイト http://www.kasainote.net