【新事実が続々】FM沖縄の源流はCM無しの宗教放送だった
復帰50周年特別番組 ライセンス アメリカと日本のはざまで
5月15日(日)夜9時~9時55分
※radikoタイムフリーは5月22日まで聴取可能です。
1972年の沖縄本土復帰時、米国民政府が所管するアメリカ世から、日本政府が所管する大和世に変わり、市民の生活が大きく変化した様子を、政府が交付するライセンス・免許に注目し、当時を知る関係者のみなさんの証言で振り返るドキュメンタリーです。
FM沖縄の前進は極東放送というAM局なのですが、
開局当時はキリスト教を布教する宗教法人が、教会や信者からの寄付で運営していたためCM無しだったことがわかりました。
※radikoのタイムフリーは5月22日まで聴取可能です。
■極東放送とは・・・
復帰前1958年2月にアメリカ統治下の高等弁務官によってライセンスを与えられた放送局で、日本語と英語2つの言語でスタートしています。→極東放送の開局のきっかけについて、当時技術職で働いていた東伸三さんに伺いました。
開局当時は、キリスト教を布教する宗教法人が、教会や信者からの寄付で運営しているため
ノンコマーシャルで、クラシックやオペラなど長尺の音源もフルで流すことができたそう。
物資の乏しい当時において、本国にあたるアメリカから新しいレコードが続々届いたそう。
■極東放送は3つの電波を出していた
日本語放送と英語放送の2波に加えて、中国語放送を出していました。
東西冷戦で、ソビエトは鉄のカーテン、中国はバンブー(竹)カーテンと言われていた時代。
宣教師はもちろん入れない。カーテンをこじ開けるには何が良いかで選ばれたのが電波。
沖縄本島北部・やんばるにある奥間から、中国大陸に向けて高出力で電波を送信し布教に活用していました。
■復帰を迎える極東放送に免許の継続への障害が・・・
外国法人が持っている。宗教放送を行っている。米軍との距離が近い。
というトリプルな理由で、返還後の放送継続は困難になりました
→国会でも度々取り上げられ、瀬長カメジロー氏の発言にもあるように、密約事件として当時から有名な、外務省機密漏洩事件の電文にも記載があったことがわかりました。
復帰前の極東放送 日本語局KSDXと英語局KSAB
復帰後の極東放送 日本語放送JOTF
【当時を語る証言者たち】
極東放送技術スタッフ 後のFM沖縄副社長 東伸三さん(86歳)
極東放送プロデューサー 後の極東放送日本語局長 松川久雄さん(89歳)
社会医療法人敬愛会 理事長 宮里善次さん
本土復帰前後に裁判官や弁護士として活躍された 前原正治さん
夫婦で極東放送に勤めていた ジョージアリン・ウィルキンソンさん
牧師 国吉真勇さん
琉球大学名誉教授で声楽家 泉恵得さん
沖縄第一号のアナウンサーで、琉球放送の英語局KSBK局長や沖縄放送協会の初代会長 川平朝清さん
日本FEBC パーソナリティー 吉崎恵子さん
【キャスト・スタッフ】
スタジオ:大城勝太(FM沖縄)古波藏契(近代史研究) 伊芸梓(FM沖縄)
作品内ミニドラマ出演 TEAM SPOT JUMBLE
末吉功治
小渡俊彰
比嘉恭平
蔵元利貴
インタビュー通訳:ニッキー
ディレクター:室賀啓希(FM沖縄)
ディレクターインタビュー
室賀啓希
1978年兵庫県生まれ。リポーズアフターアワーズやU COOL LAB、オリオンびあぶれいくなど
主に夕方の番組を担当。
自分が入社した20年前はピカピカの新社屋になったばかりで、当時の大先輩から極東放送の頃の話は聞いていましたが、
「なんでキャンプキンザーの隣にあるんだろう」と常々不思議に思っていました。
今回復帰50年の特番を考えた際に「極東放送っていつから?」と調べてみると、
最初はキリスト教を布教する宗教放送局だったということや、復帰を巡る国会での答弁にも登場したという事実がわかりました。
当時の資料が社内にほとんどない状態でしたが、当時を知る関係者探しや、
紹介いただきながら取材を進めたところびっくりする証言をいただいたのです。
復帰時の極東放送の話以外にも、医介補や布令弁護士といった沖縄の復帰だけに適用された免許も調べ、
復帰前後の当時の県民の様子を感じられる番組になったと思います。
復帰50周年特別番組 ライセンス アメリカと日本のはざまで
5月15日(日) 夜9時~9時55分
放送後はradikoにて1週間聴取可能