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若山大地さん「シーサーのルーツ=石獅子の魅力」

毎週火曜日にお届けしています”Finer”

 

志を持って頑張っている方、

誰かにfine!を届けようと活動している方・・

いわゆる「ファイナー」を、自分史インタビュアーの私・松田礼那がご紹介しています。

 

今回のFinerは・・石獅子の制作をされています若山大地さんです。

 

 

 

松田礼那)「石獅子(いしじし)」って何ですか?

 

若山さん)「シーサーのルーツ」とも言える存在です!

 

僕たちが良く見かけるシーサーは陶器で作られて、門扉に2つ並んでいますよね!?

ただ、そのシーサーが生まれたのは、アメリカの統治下におかれて、コンクリート住宅が普及してからの事です。

 

それまでのシーサーは、漆喰で作られ、家を作る際に余った瓦・漆喰で職人が作ったのが始まりと言われています。

 

ただ、その瓦で作られたシーサーが普及したのは、琉球併合がきっかけです。

琉球併合・・廃藩置県の後に、庶民が瓦を使う事が認められるようになって、そこから漆喰のシーサーが生まれたんです。

 

では、その前のシーサーは何で出来ていたのか?

屋根の上ではなく、どこに置かれていたのか??

 

実は「石=琉球石灰岩」で出来ていて、集落の守り神として、地面にドンっと置かれていたんです。

それを石獅子(いしじし)・・石で出来たシーサーなので、石の獅子=石獅子と言います。

 

 

八重瀬町。県内初めに作られた石獅子と言われている。

 

 

松田)役割は、今のシーサーと同じ「守り神」ですか?

 

若山さん)はい、そうです!「魔除け・守り神」ですね。

集落に1体だけある場合もあれば、

宜野湾・喜友名のように1つの集落に8体の石獅子が存在する場合もあります。

 

松田)8体もですか?集落をぐる~っと囲むように置かれていたのでしょうか?

 

若山さん)そうですね。集落が大きくなると、石獅子も多くなる傾向がみられます。

集落の出入り口や、災いの対象に向かっておかれる場合も多いです。

 

上の写真は、「八重瀬町の石獅子」で、県内で初めに作られた石獅子と言われています。

 

当時、八重瀬町の八重瀬岳は「火山(ひーざん)」と呼ばれていました。

火事が多かったのだと思います。

その八重瀬岳という「災いの対象」に向かっておかれました。

 

松田)これが初めの石獅子なんですね!?すごく丁寧に作られていますね!

 

若山さん)そうですよね。

これはあくまで僕の予想ですが、恐らく、渡来した中国の石工・職人の手が入っていると思います。

なかなか「獅子」を知らない沖縄の庶民が、ここまで作るのは難しいと思いますので・・。

 

 

 

 

松田)そして、その後「八重瀬町には、琉球石灰岩で作られる魔除けの獅子がある?」「いいね!うちでも作ってみよう!」と県内各地に広がっていったわけですか?

 

若山さん)はい!おそらく「琉球石灰岩で作られていた」というのが、普及した1つの理由だと思います。

 

琉球石灰岩は「沖縄の大地そのもの」とも言える存在です。

足元を掘れば、いくらでも出てきます。

 

一方で、とても柔らかく、彫刻しやすいけれど、細かい造形は難しいという特徴もある石です。

なので、琉球王朝はあまり興味を示さず、ある程度庶民が自由に扱える石でした。

 

なので、庶民も簡単に素材を手に入れる事が出来て「作ってみよう!」となったのだと思います。

 

シーサーがこれだけ沖縄全土に広がって定着したのは、ルーツのシーサーが「石=琉球石灰岩」で作られていたからこそです!

 

1689年には、庶民の手によって作られるようになりました。

 

 

 

 

松田)1689年からですか!?長い歴史があるんですね!

 

ただ・・あの・・若山さん。

上の2枚も「石獅子」の写真ですよね!?

なんだか「県内で初めに作られた八重瀬町の石獅子」と大分違いませんか??

 

若山さん)そうですよね!(笑)

これはおそらく、先ほども申し上げた通り、琉球石灰岩は柔らかくて、庶民が細かい造形を彫るにはとても難しい石だったから・・

また「石獅子」が、伝承で各地に伝わったからだと思います!

 

昔の人は今のように県内を気軽に行き来することが出来ません。

「八重瀬町に『石獅子』というのもがあるらしい!」と聞いても、実際に見に行く事は難しかったわけです。

 

なので口頭で他人から聞いた石獅子を作るしかありませんでした。

 

しかし伝言ゲームと一緒で中々正確には伝わりません(笑)

 

初めは「獅子の形をしていて、口はあいている」と定義されていたはずなんですが、

県内各地の石獅子を見ると、口のあいていない石獅子もあります。

また、頭だけの石獅子など、形は様々です。

 

 

 

 

松田)なんだか、どれも「ゆるキャラ」のような可愛さがありますよね!?

 

若山さん)そうなんですよ!

ただ、松田さん。本来「石獅子=魔除け・守り神」です。

 

それなのに「可愛い」ってなんだか不思議な感じがしませんか?

 

松田)言われてみれば、そうですね!

本来は魔を威嚇する・・圧倒するような迫力があってもよさそうです・・。

 

若山さん)おそらく、昔の人は「怖く作ろう」という思いはあったと思います。

 

それでも、どうしても可愛くなってしまったのは、

そこには「可愛く作ろう」という作為的なものは一切なく

「守りたい家族・集落の人々の事を考えると自然と可愛くなってしまった」のだと僕は考えています。

 

松田)なるほど!守りたい家族・集落の人々への愛しさが、自然と石獅子に溢れ出てしまったわけですね!

そう考えると、現存する石獅子がより愛おしく思えますね!

 

 

 

 

若山さん)そうなんです!

 

僕は、上の写真の石獅子=那覇識名の「かんくーかんくー」に初めて出会った時、その作為的ではない可愛さに衝撃を受けました!

 

県立芸術大学を卒業して、ずっと彫刻に携わってきましたが、

恥ずかしながら、石を彫り始めて12・3年して初めて、この石獅子と出会って

「石獅子という物の存在」を知りました。

 

出会ってからはすっかり魅了されて、この10年、自分の手で石獅子を彫り続けています。

 

 

 

松田)若山さんが、石獅子を制作する上でこだわっている事は何ですか?

 

若山さん)僕が感動した昔の人が作った石獅子と同じように「作りこまない事」を目指しています。

 

シンプルだけど、強く、優しく、実直・・

この石獅子が届く所にいる人の幸せを願い、

その思いが作品から、思わず溢れ出してくる・・

 

難しいけれど、それを目指しています。

 

 

 

若山さん)また、僕の作る石獅子はほとんど「手のひらサイズ」です。

 

この手のひらサイズの石獅子を県外・海外にも持っていて、沖縄の文化をより多くの方に知ってもらいたいと思っています。

 

シーサー文化は世界各地にもあると思います。本土の狛犬もそうです。

 

ただ「個人でシーサーを持っている」というのは世界広しと言えども、沖縄だけではないでしょうか?

 

他の所は神社に行けばある・・お城に行けばある・・

それぐらい特別な存在だと思います!

「守り神」・・神様ですから、特別な存在で当たり前です!

 

しかし沖縄のシーサーは、各家庭の門扉にいて、今やお土産屋さんで気軽に購入できます。

 

これは初めのシーサーが琉球石灰岩で作られた「石獅子」だったから!

琉球石灰岩が、沖縄には大地そのもので、気軽に手に入ったから!

石獅子が各地に広がり、庶民に親しまれたから!

沖縄だからこその文化なんです!

 

この親しみやすい、沖縄の大地が生んだ守り神=石獅子を通して、沖縄の事を世界に伝えていけたら嬉しいです。

 

 

 

 

 

<若山さんの工房・ギャラリー>

 

スタジオ de-jin

 

場所:〒903-0806 

沖縄県那覇市首里汀良町1-2 1階 

※伊波レディースクリニックの隣です。

           
営業時間:10:00~18:00

 

定休日:日曜日、不定休

※奥さんとお二人でやられています。

お電話してから行かれると、確実です。

 

電話 098-887-7466 (fax兼)
携帯 090-9787-7512 (若山大地)
E-mail info@de-jin.com

 

HP⇒http://www.de-jin.com/

Facebook⇒https://www.facebook.com/deijin510/

 

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