さて今日のカレンダーを見ると「東大寺お水取り」とある。
お水取り、簡単に言えば2月の末から3週間にわたって11人のお坊さんが
五穀豊穣や天下泰平を祈る行事である。正式名を修二会(しゅにえ)と呼ぶ。
しかし、そのお水取り、祈りと同時に「懺悔」もするという。
戦争や世界平和に思いを馳せ悔い改めるほか、俗世を生きる中で、
欲張ったり、我がまましたり度の過ぎた行いを懺悔するのだと言う。
昔、クリスチャンである母が私に対して「自分自身の健康を考え、
健康を維持するのは謙虚さの表れだ」と口酸っぱく言っていたことがある。
度の過ぎた身体の酷使は、それを与えてくださった神様に対する
不遜さの表れだと説いていたのだ。
そのころの私はどんなに酒を飲んでもよく朝ケロっとしていたし、
3時間くらい眠れればなんとかなっていた。
しかし、少しのお酒で二日酔い、睡眠負債をなかなか返しきれない
今となってやっと、母の言葉がわかった気がする。
博多華丸大吉のネタではないが
「親の言葉と(酒の)ちゃんぽんは後から効いてくる」である。
仏さかまらも、キリスト様からも
この期におよんでまた酒とはけしからん!
そんなお小言が飛んできそうだが
ご両者曰く、度が過ぎるのは「懺悔」の対象。
「不遜」の表れであることは間違いなさそうだ。
五穀豊穣や天下泰平は東大寺のえらいお坊さんに任せて
私のような不束者は、まず己の「度が過ぎる」行為を反省せねば。